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プロフィール
キャピタル・パートナーズ証券
三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2011年10月25日
三原 淳雄

ご紹介
 

大和総研の熊谷亮丸様がご著書を送って下さいました。その最初に三原への思いを書いて下さっておりましたので、ご著書の紹介もかねて載せさせていただきます。 
熊谷様は淳一郎さんと日本興業銀行での先輩後輩ということでもあり、また古くからのお知り合いでもあったとか、三原は二人目の息子のように思っていたようです。 
熊谷様のことを淳一郎さんは「熊谷」と呼び捨て、三原は「みつまるちゃん」と呼び、年に何回かは3人で会われたり、他の友人が加わったりという食事会をしていたようです。その時は淳一郎さんから「素子さん、この日のここだけは親父の予定空けといてください」という連絡が電話で入るのみ。なんだか男の子3人の秘密の会合のようで、三原がうれしそうに出かけて行ったのを思い出します。 
私が熊谷様に最初にお目にかかったのは2004年1月の三原の勉強会に講師として来てくださった時、38歳になったか、ならないかの若いさらに童顔の熊谷様が部屋に入って来られた時は一同びっくりしたのですが、鋭い洞察力と分析、そして解り易い解説のお話が終わった後は拍手が沸き、以来無理を言っては勉強会の講師をお願いしておりました。 
三原がこの本の出版をどんなに喜んでおりますか皆様にお伝えしたいと思いました。

南雲素子

『世界インフレ襲来』(東洋経済新報社)

大和総研
チーフエコノミスト
熊谷亮丸

はじめに
 
 子どもの頃から、日本という国が大好きだ。日本人は親切で、真面目で、思いやりのある、間違いなく世界一の国民だ。 
 筆者は「エコノミスト」という海外出張が多い職業にありながら、日本を2週間以上続けて離れたことがない。前ローマ法王(教皇ヨハネ・パウロ二世)が外国訪問の際、最初に到着した場所の地面に口づけをされる映像を見たことがある読者も多いだろう。筆者も海外から日本に帰国する度に、大地に口づけをしたい衝動に駆られるほど、祖国・日本を愛してやまない。 
 しかし、今その日本が危機に陥っている。 
 2011年3月11日に発生した東日本大震災はわが国に未曾有の打撃を与えた。東北地方を中心とする広い地域で多くの尊い人命が失われ、日本列島はかつてない閉塞感に包まれている。 
 一人の国民として、愛する祖国の為に少しでも貢献できることはないのだろうか? 
そう考えた時、「エコノミスト」として、東日本大震災の影響を踏まえた上で、今後の日本を中心とするグローバルな経済情勢や金融市場動向を展望し、わが国がとるべき政策対応等について考察した書物を世に問うことが、自分の責務であると確信した。 
 
 また、私事で誠に恐縮であるが、本書を執筆したもうひとつのきっかけは、筆者が公私に亘り温かいご指導を賜ってきた経済評論家の三原淳雄先生が、2011年2月8日に急逝されたことである。 
 三原先生は、常々、日本の現状や将来を強く憂いていた。先生のお言葉のなかで、次の2つが心に残っている。 
 
 「亮丸(みつまる)ちゃん。みんな時計は丸いと思っているけれど違うよ。人生の時計は死に向かって進んでゆく、直線的なものだ。人生は短い。お前に残された時間は少ないぞ」 
 「良い本を書きなさい。各章がオーケストラの様にひとつのメッセージを何回も伝える。これが良い本だよ」 
 
 三原先生は73年間の生涯で95冊の書籍を世に出された。筆者は先生にひとかたならぬお世話になりながら、何ひとつ恩返しをすることができなかった。書籍を出版することで、先生のご存命中に果たせなかった約束を何としても実現したいと思った。 
 
 しかし、筆者は、大和証券グループのシンクタンクである株式会社大和総研で、日本のマクロ経済予測の責任者(チーフエコノミスト)という立場にある為、時間的な制約から執筆活動は困難を極めた。年間300回以上に亘る講演を行う傍ら、海外出張や政府要人との面談、テレビへの出演などをこなす。こうした状況下で、約2か月間に亘る不眠不休の執筆活動を経て完成したのが、本書である。 
 被災者の方々のご苦労を目の当たりにするにつけ、筆者は今までの人生で感じたことのない「大きな力」に背中を押される様に、執筆に駆り立てられた。一人でも多くの方に本書をお読み頂ければ、筆者にとって存外の幸せである。