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三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2010年07月08日
三原 淳雄

窒息しそうになってきた
 

 北京空港は広大である。その広大な空港のなかを、何と公安とおぼしき制服を着た男が颯爽と走って来た。何とあのセグウェイにいとも軽々と乗っかって走っていたのである。何ごともなく通り過ぎていったが、あのセグウェイという乗り物は二輪車なのにバランスは自動的に行い、操作はいたって簡単で倒れないらしい。 
 
 発売当初はテレビなどでも盛んにやっていたが、その後ばったり見掛けなくなり、もう駄目になったのか、誰も買わなかったと思っていたら、思わぬところで目にすることが出来た。あのダダッ広い北京空港なら使い勝手もさぞいいだろう。 
 
 いま日本では高齢者、とくに地方の老人たちは人口が減って店が減り、日常の買い物にとても不便な思いをしているとか。その「買い物難民」はいまや1000万人とか。 
 そんな老人たちに狭い道でも結構だから、どうせ田舎なら車も少ないことだし、奥の細道みたいなセグウェイ専用レーンでも作ってみたらどうだろうと、同行のメンバーに聞いたところ、日本は規制が厳しくてとてもとても、そんなもの許可される訳がないと、にべも無い返事が返ってきた。 
 
 どんな規制があるのかを尋ねたら、まずウィンカーがつけられない、ナンバープレートをつける場所もない、だから公道は走れないらしい。大都会のど真ん中ならいざ知らず商店もスーパーも無いところでも、悪法といえども法は法。セグウェイを老人になんてアイディアは夢のまた夢らしい。 
 
 いま民主党をはじめ様々な政党が脱官僚をスローガンにしているが、いくら口先だけで官僚を動かそうとしても、官僚の拠りどころは法律であり、もともと官僚は法律を執行するのが役目だから、政治主導なんてご託宣を並べても、法律がそのままある限り現状は続くだろう。 
 そこが日本のおかしな点であり泣きどころである。企業の寿命30年と言われるほど企業だって毎年変化していくから寿命を長らえていくのである。ところが法律になると何故か古い法律がその都度解釈を変えながら永遠に続いているのはおかしいではないか。 
 
 憲法が好例である。敗戦時のどさくさで連合国側のいいなりで作られたものが、65年間も全然変わっていない。法の解釈をその都度捻じ曲げながら勝手な解釈ばかりしているから、自衛隊は立派な軍隊の組織であるにもかかわらず、軍法会議すらないという不思議な軍隊でもない武力集団のまま。年金やその他社会保障関係も戦前のものだったり高度成長期のものだったりと、変えなければならない法律が山ほどあるはず。交通規制や自動車の型式証明などもそうだろう。クルマはこれからモーターの時代となり、エレクトロニクス製品のようにあちこちから部品を買えば、いとも簡単に組み立てられるようになる。それが次世代の経済を引っ張る改革になるかも知れないのだが、規制や法律がきっとおおきな弊害になるのではないかと心配である。 
 折から消費税をはじめ所得税、相続税などが論じられているが、グローバル化した時代にどういう税が必要で、どういう税が不要かを根っこから議論して欲しいものだ。 
 
 相撲の話など見ていると、バクチ即悪みたいなムードになっているが、国民から博才を無くしたら、誰もリスクを取らなくなるし、だいいち生きていくうえでひつような博才まで失ってしまう。いましきりに中国勢が日本の森や林、野原まで買っているようだが、何れ中国、日本省になると賭けて買っているのではないか。社会主義なのに真昼間から堂々と麻雀している国である。博才がなければとても生き抜けないだろう。 
 
 将来のことなど誰にも正確に判るはずもないのだから、博才のある人がどんどんリスクをとって事業を興し雇用を増やし、所得や消費を生めるように、不要な規制もどんどん廃止することだ。パチンコみたいなチンケなバクチしか出来ないのでは、何でもありの博才に長けたお隣の国の人たちに、そのうちお台場を買い占められてカジノにされてしまうぞ。相撲取りの賭け麻雀や花札程度のことは、並みの人間なら誰でもやっているだろう。「人の振り見てわが振り直せ」もいいけれど、自分は出来ない聖人君子ぶりを人に求めるのは止めにして、もっと自由度の高い規制の少ない税金の安い国にしようではないか。 
 このままでは窒息しそうである。