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キャピタル・パートナーズ証券
三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2010年06月04日
三原 淳雄

クリーンも結構だが
 

 後進国(新興国か?)から成田に帰ってくると、日本の清潔さにほっとした気分になる。 
 一方で確かにイマキュレート(完璧)なクリーンではあるが、逆に他国の無秩序な喧騒に馴れた目には、こんなに静かでクリーンで大丈夫かと疑念も出てくる。 
 
 鳩山さんも辞任会見で「クリーン」という言葉をたびたび発していたが、いつから国民もマスコミも「クリーン」を求めるようになったのだろう。 
 もちろんいまの鳩山、小沢、両トップの「政治とカネ」については言語道断であり、サルコジやベルルスコーニのように自分のカネなら堂々と使えばいい。政治資金とからめたりするというその根性が卑しい。 
 
 「清濁併せ呑む」や「水清ければ魚住まず」と、昔はよく言っていたし大事さえ立派にやってくれれば、些事には拘らない鷹揚さも日本の国民は持っていたはずである。ところがいまやクリーン、クリーンの大合唱、クリーンを騒ぎすぎると、結局何も出来ない懐の狭い小物ばかりが政治を牛耳るのではないか、むしろそちらの方が怖い。 
 
 外国を見てみると、ホワイトハウスの執務室でイロ事に励んでいたクリントンをはじめ、サルコジなど下半身は全くクリーンではないし、イタリアのベルルスコーニにいたっては、いまや金や色事で作られた服を着て歩いているようなもの。 
 それでも国際的な外交の場では国益を強力に主張するし、主義主張は明確である。 だから国民もどうでもいいことには目くじらを立てないという度量もあるだろう。 
 
 隣の中国がどうなっているかはよく知らないが、賄賂なくして国が建たない国であることは、衆知の事実だろう。出世と金儲けと賄賂が三点セットになっているのはいまや常識である。 
 恩家宝首相のあの優し気な表情に騙されてはいけない。ここまでのし上がってくるためにはかなりのことをやってきたと思うのが常識だろう。 
NHKのクローズアップ現代ではその恩家宝首相に、国谷キャスターも先方のペースにすっかりはまっていたが、きれいごとばかりではさぞ苦しいインタビューだっただろう。 
 
 アリスの曲に「きれいごとですむような男と女じゃないことなど、うすうす感じていたけれど」という歌詞があるが、きれいごとではすまないことの方が世の中には多いのではないか。むしろクリーンにすればクリーンにするほど、人間はやる気をなくすのではないか。 
 何もせずにリスクもとらずじっとしていれば確かにクリーンだろう。何かをやろうとすれば、時としてもめごとやスキャンダルに巻き込まれる。それを乗り切るためには気力も体力も充実しておかねばなあらないし、気苦労もついてくるだろう。 
 
 サルコジやベルルスコーニを見ていると、その打たれ強いことにほとほと感心させられる。女に手を出せば高くつくのは目に見えているのに、それでも手を出し巨額なカネをカミさんにむしりとられるなんて生き方は、むしろ男の甲斐性ではないかと羨ましくもある。引越し屋の会長のようにこそこそやるから、後で強請られたりするのはみっともないことだ。 
 
 結婚しない男の子が増えているそうだが、女と住まなければもめごともないし、苦労もないだろう。浮気もしようがないから、それでもめることもない。 
 商売柄リスクとリターンはセットになっているのが世の常と考えているが、結婚しなければ子供は生まれないし、子供がいなければ孫も来ない。結婚、子育てというリスクをとり、そして孫ができるというリターンを繰り返しながら、先祖は営みを続けてくれたからこそ、いまの自分があるのではないか。 それはそれで自分の選択だから結構だが、将来寂しい人生になっても文句など言わないという覚悟だけはしておくことだ。 
 
 すぐ隣りには「面従腹背」「朝令暮改」など当たり前の国があり、ますます力を持ってくるのだから、あまりクリーンに過ぎると手もなくひねられるぞ。日本人は本来もっと図太かったのではなかったか。クリーンも結構だが度が過ぎているように思えてならないのである。