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キャピタル・パートナーズ証券
三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2010年04月16日
三原 淳雄

大事の前の小事
 

 このごろ仲間に会うと、「どうなるのですかな」が挨拶の言葉になってきた。 
 言うまでもなくいまの日本の迷走ぶりを心配しているのだが、そうぼやいている当人たちのかなりの人数が、民主党に投票した形跡がある。自民党にがっかりして民主党に入れてはみたものの、ここまで酷いとは思いもよらなかったと反省しているようだ。 
 
 しかし一方では民主党に投票したという弱味もあって、週刊文春の見出しのタイトルのように「バカが専用機でやってきた」とまでは首相をこき下ろすことも出来ず「だから入れるなと言ったではないか」と言われても肩を落とすだけ。 
 
 今度ばかりは自分の一票の重さがわが身にはね返って来てみて、沁みじみ思い当っているようだ。政権交代を旗印にした民主党のマニフェストを無邪気に信じ、それがホラフェストに過ぎないことを見抜けなかった罰が当ったのだから、民主主義の怖さが身に沁みたのだろう。民主主義とは一歩間違うとポピュリズムとなり、戦前のワイマール共和国がナチスに乗っ取られたような事態を招く。 
 あの頭のいいドイツ人ですら間違えたのだから、たまには歴史を振り返ることだ。高学歴で教養もそこそこある連中が、いまになってぼやいている姿はみっともないとしか言いようがない。 
 
 子供みたいな青っぽい大臣たちには「大事の前の小事」が何かも判っていないし、ましてや「阿吽の呼吸」などといった高等な腹芸もない。核密約の一件などその典型的な例だろう。アメリカが情報開示をし、そのために密約がバレたのだが、沖縄返還時の国際情勢を踏まえれば、日本が核の傘の下から抜け出る方のリスクが高いことは誰もが判っていたはず。抑止力すらなく丸裸になった日本がどうやって国を守るのか、誰もが心配していたはずだし、そこは暗黙の了解で防衛はアメリカに委ねていたことぐらいは当時の日本人なら皆んな知っていただろう。「阿吽の呼吸」とか「暗黙の了解」はいつの時代にも必要なのである。もちろんそのためにはお互いの「信頼」が欠かせない。 
 
 「トラスト ミー」と言って自ら約束すら守れない人間が信頼されるわけもない。

子供化する日本

 ところがいつの間にかこの日本では「大事の前の小事」ではなく、「小事」の方が大事になってきた。好例が市場を巡るさまざまな規制だろう。株ひとつ買うにも「株にはリスクがあります」と長々と説明され、おまけに署名捺印しなければ買えないし、70歳以上なら家人の同席がなければ投信も買えないらしい。 
 
 80歳を超えると株も投信も売って貰えないと聞くと、4万人を超えた100歳以上の老人たちもいるのに、もうお前たちには市場のことなど関係ないと切り捨てるようなもの。リスクを恐れるあまり市場にカネを近づけない方がいいと考えてのことなのだろうが、これでは国民の大切な市場が育つわけがない。 
 
 誰が考えたってリスクなしに大きなリターンなどある筈がない。また投資する側もそれを知らないはずはない。騙されたと騒ぐ前に「大欲は無欲に似たり」という言葉ぐらい知らない自分を恥じることだ。騒ぐ奴がいるから小事が大事になっていく。そのためにやたら規制が増え、最も大切な国民共有の財産である市場がすっかり沈滞してしまったではないか。 
 
 ホラフェストでは消費税は4年間凍結するはずだったのに、公然と消費税の議論を始めるらしいが、その前にまず国民を如何にすれば富ますことが出来るかについてのマニフェストを示すべきだろう。 
 懐を寂しくしておいて、そこからむしり取って財政再建など出来るはずもない。財政再建もさることながら、そのための経済再生、市場活性化という大事を忘れないことだ。 
 
 「大事の前の小事」「阿吽の呼吸」「暗黙の了解」という日本語はもうなくなったのだろうか。泰然とした大人がいなくなって、小事を大騒ぎする子供ばかりの国になったようだ。 
 
 平沼さん、与謝野さんたちの新党が「たそがれ」とか「シルバー」とかからかわれているが、こちらもそうだがあの人たちはもう人生の後がない。せめて最後にひとふん張りして貰って、大人の器を見せて欲しいものだ。2500万人もいる65歳以上の老人たちが応援すれば何か出来るのではないか。冥土の土産にはなるだろう。