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プロフィール
三原淳雄
 

2010年03月05日
三原 淳雄

新「断絶の時代」
 

 あのドラッカー教授が「断絶の時代」を書いたのは1960年代のこと。 
 当時の先進国が軒並み植民地を失い、いま新興国として力をつけつつある国々が続々と独立し、東西冷戦がピークと迎えた時期だった。 
 折からベトナムではアメリカが泥沼化した戦争にはまり込み、国内では反戦ムードの高まりやヒッピーがそこいら中に溢れ、なるほどこれから世界は新しい時代に入るのかと、彼の本のややこしい内容もさることながら、タイトル通りの時代の断絶、そして新しい時代への息吹を肌で感じた時代だった。そのころ日本でも反戦運動が盛り上がり、団塊の世代が昼はデモ、夜は歌声喫茶で盛り上がっていた。 
 反戦をテーマとした歌もボブディランなど世界的にあちらこちらでよく唄われていたが、ほどなくアメリカはベトナムで敗れ、同時に反戦運動もヒッピーも姿を消していった。 
 
 問題はその断絶の時代から後の各国の変わりようである。日本でもデモに明け暮れた学生がヘルメットを捨て長髪を切り、リクルートルックに姿を変えて、続々とそれまで罵っていた大企業に就職していったが、アメリカの学生の変わりようはもっと凄い。 
 
 それまでMBAをモンキー、ビジネス アドミニストレーションと揶揄して、ビジネススクールの学生をピッグ(豚)呼ばわりしていた連中が一転してMBAに群がり、それまで優秀な学生はGMなど大企業を目指したのだが一転して、シリコンバレーのベンチャーキャピタルやウォール街を目指すようになり、ブルームバーグやポールソンなど飛んでもない大金持ちに変わっていったのである。 

もう国には頼らない

 今日もさるところで「変わる世界 変われぬ日本」というタイトルで講演してきたが、タイトル通り、日本の国民性は何故か変わることに対して抵抗があるようで、変わることが潔ぎよいこととは考えない風潮が強い。しかしいまや再び新しい型の「断絶の時代」になっているのだから、変わらなければ国も個人もますますグローバル化する時代に生き残れないのではないかという懸念は持っておくべきだろう。 
 
 トヨタがいま盛んに取り上げられているのも、考えようではこれまで100年続いたエンジンの時代からモーターへの時代へ移る過渡期、つまり「断絶の時代」と考えられなくもない。こんな時代には既成の概念を一回棚に上げて、原点から変化を見つめ直し、修正すべきは修正する時なのであろう。 
 
 極端な例を出せば、「もう国には頼らない」と考えるのもいい。中国人などは生まれた時から国など信用するなと教えられ育っているし、アメリカ人でも国は時として国民に害となることはよく知っている。 
 ところが日本は昔から「泣く子と地頭には勝てない」「お上に逆らったら損をする」と刷り込まれているようで、まだ国が何とかしてくれると考えているようだ。一方ではこれ以上国が借金して大丈夫かと思いながら、それでも国を信用している姿はまるで漫画としか言いようがない。 
 
 そこでもう国には年金も失業も健康も全て自分でやる。だから自分や会社が払っている社会保険料を自分によこせ、運用は自分でやるとして計算したらどうなるかを、自分では出来ないので友人の会計士でキャピタル アセット マネージメント社の北山雅一さんに試算して貰った。もちろん試算だから年率いくらで運用出来るかで大きな差が出るのだが、新入社員からスタートして毎年7%の複利で計算すると43年後には、5億円以上にもなる。20%だと軽く10億円を超す。 
 複利の運用は長くなれば長くなるほど大きくなる。いま日本には夢がないとぼよいている日本の若者にも、時間という何よりの味方があるのだから、目先きの暗い話にはまるのではなく、折角新たな「断絶の時代」が始まったのなら、こちらから断絶して自分の足で立ってみることを考えてみてはどうだろう。