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プロフィール
三原淳雄
 

2010年02月06日
三原 淳雄

奢れる平家は久しからず
 

 いまさらリコールで大変な目に遭っているトヨタについて、いまさら悪口を言うわけではないが、こうなるのではないかという懸念を、この欄でかなり昔に書いた覚えがある(PCの通ならすぐ何時書いたと出てくるのだろうが,どうして出すのかまだ判らん)。 
 なぜそんな懼れ多いことを書いたかというと、トヨタの関係者から「最近若い層に東大出が増えた。それは車好きというよりは、トヨタだからと言って入ってくる安定指向が強い。昔は自動車が好きで入ってきたのだが、これではトヨタも官僚化するのではないか。」「残念なことに本田には自動車が好きで入ってくる若者が多い。どこかでこの違いが出てくるのではないだろうか」と、大企業病になりはしないかと心配していたのだが、事故への対応を見ていると彼の懸念が現実のものとなってきたようだ。 
 同じ話を以前大蔵の官僚からも聞いたことがある。それは東大法学部があまりにも主流となっている現状に対して、当の大蔵官僚が「数学で言えば公式や定理の暗記に優れた連中ばかりになってきた。本来は暗記するのではなく、どうしてこんな公式が出来たのか、他の方法は無いのかと考える人材が欲しいのだが」と嘆いていたのだが、言われてみればそのとおりで、法律の暗記は出来たとしても、それが今の時代に合っているか、もし時代に合っていなければ無くしてみてはどうかなどとは全く考えないらしい。これが官僚化なのだろう。 
 「歌は世につれ世は歌につれ」ではないが、いまは大きな変化が物凄いスピードで進んでいるのだから、法律だって時代遅れになったものは山ほどあるはず。交通法規だって昔のボロ車時代に出来たものがまだ多い。高速道路のスピード規制などその最たるものではないか。50年も前から車に乗っているが昔は100キロも出せば車が壊れそうになったものだが、今の車なら巡航速度だしその程度で壊れそうになる車など無い。それでもまだ昔のままの速度制限の道路のいかに多いことか。むかし暗記した時代のままで国交省は居るのだろう。 

他山の石

 トヨタのケースは今の日本にとって何が大切かを改めて考える好機ではないだろうか。日本は物つくりの国と永らく言われ、確かにひとつひとつは素晴らしい製品が多いが、グローバルに考えると日本のようにはいかない国も多い。 
 今回のトヨタのケースもアメリカで作った車にはアメリカ製のアクセルペタルを使っていたとか。その製品の不具合でトヨタ全体の信用が揺らぐことになったのだが、アメリカでご自慢のレクサスが事故を起こしたときからの対応を見ると、トヨタの本社にはその危機感が欠けていたとしか思えない。 
 「優秀な俺たちが間違うはずが無い」と優秀な官僚は考えるそうだが、世の中はそうはいかない。「上手の手からも水は漏れる」ものなのである。 
 前回久し振りにNYに行った時にも強く感じたのだが、なまじ製品に自信があるばかりに得意の家電製品もサムスンや台湾勢にシェアを奪われているし、車も韓国の現代に追い上げられている。いい製品なら黙っていても売れるはず、と自信過剰になって思い上がり過ぎていたのではないだろうか。 
 トップがたまにはアメリカのスーパーでも覗いていれば、液晶テレビなどは名もないメーカーが山ほど出てきて、しかもそれをアメリカ人たちが喜んで買っている姿に気がついたはずである。何事にも言えることだが「奢る平家は久しからず」であり、上に立てば必ず誰かが足を掬いに来るもの。 
 暗記や遠い記憶に頼るのではなく考えることも忘れないようにしなければなるまい。トヨタのケースをぜひいい意味で「他山の石」にしようではないか。

選挙民の責任は?

 結局小沢幹事長は不起訴とか。一般の企業なら部下が3人も捕まったら社長以下責任者は全て降格、もしくは退任のはずだが、政界とは不思議なところだ。また石川議員も情けない。国会議員は国のために働くのが筋であり、親分の草履の世話や身代わりをするためではあるまい。何も国のためには働いていないではないか。 
 また明らかに小沢親分、石川子分と役割がハッキリしているのに、その子分を選挙で国会に送った選挙民もだらしがない。これでは憤死した中川昭一氏も「あんな小僧に負けるなんて」と草葉の陰で怒り狂っているだろう。死んでも死にきれないとはこのことである。国民も自分の胸に手を置いて考え直してみる時だろう。政治家の質は所詮国民の資質と同じであることが判るはずだ。 
 それはそうと政党助成金は何のために俺達は払っているのだろう?