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プロフィール
キャピタル・パートナーズ証券
三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2009年10月30日
三原 淳雄

どこかおかしいぞ、この国は
 

 誰の言葉だったかこのごろ物忘れが酷くなって忘れたが、若いころ「金銭にも権力にも名誉にも関心のない人間ほど扱いにくい人間は無い」という言葉に触れ、折角の人生思う存分生きて「アー面白かった」と棺桶の蓋を閉めたいと思っていただけに「これだ!」と痛く共鳴した覚えがある。 
 もちろん人生が思うようにうまく行ったわけではないが、何とか阿ねずそれなりに面白く過ごしてくることが出来たのは有難いと考えているのだが、一方で自分とは年は同じでも全く反対の生き方をする人間もいるものだと、呆気に取られたのがあの亀井大臣である。 
 自民党時代には権力の絶頂にたち、一時は自民党の亀井さんの部屋の前には立錐の余地も無いほど、陳情や打ち合わせで人が群がっていた。そのころラジオの仕事で訪ねたことがあるが、ご本人はともかく秘書がやたら威張りまくっていて不愉快な思いをしたこともある。 
 その亀井さんが小泉時代に一転して冷や飯を食わされ、おまけに選挙ではあの堀江某をぶっつけられたから、誇り高い亀井さんとしては腸も煮えくり返っただろう。そして苦節4年その権力が再び戻ってきたのだから、これは奇貨おくべし、恨みを晴らさずに置くものかと一気に敵討ちに出てきた。 
 韓国が政権交代のたびに前の大統領が次々に罪を問われるが、何だか韓国の政治に似てきた感もないでもない。権力とは何とも恐ろしいし厄介なものだ。小泉時代の郵政改革も国民の大半はよくもわからぬまま、良くなりそうな気がして自民に入れたのだろうが、今回の亀井式郵政改革(?)もよく判らん。だいいち国民に説明もなし、俺は前から反対していた、だから人事なども俺の独断でいいんだと、そこまで国民は彼に任せる覚悟で投票したのだろうか? 
 もし民間で社長がこんな独断的で事後承諾の経営をしたら、株主から大反対され株主総会は大荒れだろう。国が100%の株主だから大臣の俺が株主だと考えているとしたら、これは大変な勘違いであり国民が株主であることを忘れているとしか思えない。 
 いま世の中ではコンプライアンスとかアカウンタビリテイーが過剰と思えるほど求められているのに、それを取り締まっている(過剰なほど)金融大臣がこれでは示しがつかないのではないか。いったいこの布陣で何を目指すのかについてのまだ説明すらしていないし、小泉改革への恨みを晴らしたその先をどうするのか、しっかりと説明して欲しいものだ。 
 もしこの先もデレデレと国債ばかり買ったりしていると、ちょっと金利が上がればたちまち赤字が膨らみ国民にツケが回ってくる。こうした市場の懸念に対してきちんと説明しておかなければ、市場の反乱で悪い金利高が現実のものになるだろう。 
 悪い金利高となれば経済再建どころの話ではなくなり、インフレとデフレが共存する悪夢がやってくるだろう。「やってやった」と積年の恨みを晴らした高揚感のあとに何が来るかを、もしっかり考えているのかどうかそぞろ心配になってきた。 
 この政府がまだ支持率が高いのは何故なんだ、きっとみんな何にも考えず貰うことばかり計算しているのだろうか。そうは考えたくないのだがもう一度、正しい民主主義とは何かについて国民も考えてみては如何だろう。直感的にどこか何となくおかしいぞと感じているのだが・・・・・。 
 誰の言葉だったかこのごろ物忘れが酷くなって忘れたが、若いころ「金銭にも権力にも名誉にも関心のない人間ほど扱いにくい人間は無い」という言葉に触れ、折角の人生思う存分生きて「アー面白かった」と棺桶の蓋を閉めたいと思っていただけに「これだ!」と痛く共鳴した覚えがある。 
 もちろん人生が思うようにうまく行ったわけではないが、何とか阿ねずそれなりに面白く過ごしてくることが出来たのは有難いと考えているのだが、一方で自分とは年は同じでも全く反対の生き方をする人間もいるものだと、呆気に取られたのがあの亀井大臣である。 
 自民党時代には権力の絶頂にたち、一時は自民党の亀井さんの部屋の前には立錐の余地も無いほど、陳情や打ち合わせで人が群がっていた。そのころラジオの仕事で訪ねたことがあるが、ご本人はともかく秘書がやたら威張りまくっていて不愉快な思いをしたこともある。 
 その亀井さんが小泉時代に一転して冷や飯を食わされ、おまけに選挙ではあの堀江某をぶっつけられたから、誇り高い亀井さんとしては腸も煮えくり返っただろう。そして苦節4年その権力が再び戻ってきたのだから、これは奇貨おくべし、恨みを晴らさずに置くものかと一気に敵討ちに出てきた。 
 韓国が政権交代のたびに前の大統領が次々に罪を問われるが、何だか韓国の政治に似てきた感もないでもない。権力とは何とも恐ろしいし厄介なものだ。小泉時代の郵政改革も国民の大半はよくもわからぬまま、良くなりそうな気がして自民に入れたのだろうが、今回の亀井式郵政改革(?)もよく判らん。だいいち国民に説明もなし、俺は前から反対していた、だから人事なども俺の独断でいいんだと、そこまで国民は彼に任せる覚悟で投票したのだろうか? 
 もし民間で社長がこんな独断的で事後承諾の経営をしたら、株主から大反対され株主総会は大荒れだろう。国が100%の株主だから大臣の俺が株主だと考えているとしたら、これは大変な勘違いであり国民が株主であることを忘れているとしか思えない。 
 いま世の中ではコンプライアンスとかアカウンタビリテイーが過剰と思えるほど求められているのに、それを取り締まっている(過剰なほど)金融大臣がこれでは示しがつかないのではないか。いったいこの布陣で何を目指すのかについてのまだ説明すらしていないし、小泉改革への恨みを晴らしたその先をどうするのか、しっかりと説明して欲しいものだ。 
もしこの先もデレデレと国債ばかり買ったりしていると、ちょっと金利が上がればたちまち赤字が膨らみ国民にツケが回ってくる。こうした市場の懸念に対してきちんと説明しておかなければ、市場の反乱で悪い金利高が現実のものになるだろう。 
 悪い金利高となれば経済再建どころの話ではなくなり、インフレとデフレが共存する悪夢がやってくるだろう。「やってやった」と積年の恨みを晴らした高揚感のあとに何が来るかを、もしっかり考えているのかどうかそぞろ心配になってきた。 
 この政府がまだ支持率が高いのは何故なんだ、きっとみんな何にも考えず貰うことばかり計算しているのだろうか。そうは考えたくないのだがもう一度、正しい民主主義とは何かについて国民も考えてみては如何だろう。直感的にどこか何となくおかしいぞと感じているのだが・・・・・。