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キャピタル・パートナーズ証券
三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2009年10月23日
三原 淳雄

センチメンタル ジャーニー
 

 “Autumn in NY”という歌があるように、ニューヨークの秋は乾燥していて紅葉も楽しめる絶好の旅行シーズン。911テロの直前に行ったきりで、もう8年も行っていない。幸いまだ足腰の立つうちにと一念発起して息子と家内と一緒に、柄にもない家族旅行に出かけてきた。倅やわたしはこれまでもNYには何度も行っているが、家内にとっては約40年もご無沙汰ということでもあり、むかし住んでいた家や周りの景色をもう一度訪ねてみたいというのが目的の旅となった。 
 残念なことに天候には恵まれず寒さと曇天のなかで、ニュージャージーの昔住んでいたショートヒルズに出かけてきたが、ほぼ40年経っているにもかかわらず、住んでいたアパートもその後引っ越したボロ家も、むしろ綺麗になっていてそのまま残っていて、一気にあのころの記憶が甦って来た。 
 倅は当時小学校の1年生、英語など知る由も無いまま現地の小学校に放り込まれ、一番先に覚えてきた英語が[stupid]。その意味を聞かれ学校で言われているなとは思っても、まさかそれは「馬鹿」のこととも言えず絶句したことや、家内の肝炎が再発して医者に行くためにご近所の協力を頂いたことなど、走馬灯のように思い出されてきて「思えば長生きしたものだ」と改めて生きていることの有難さも感じさせられてきた。 
 当時はまだ小さなモールだったショッピングセンターも近くに高速道路が出来て、全米でも有名な高級モールとなってNY市内とは明らかに一味違う上品なみなりのご婦人たちが優雅に買い物を楽しんでいた。おいおいあのリーマンショックはどうなったのだと、思わず突っ込みをいれたくなった。こんなのんびりした風景を見ると、日本でいましきりに騒いでいる格差なんて一体何なんだ、このアメリカの格差と較べると日本の格差など比較にもなりゃしない。 
 駐車場はそれこそベントレーからポルシェなど何でもありで車好きの身としては目を奪われ放し.売り場は高級品ばかり。売り家の看板も期待していたほどには見当たらなかった。もちろんこの高級住宅街を維持するのは容易なことではない。貧乏人を入れないように住民税は馬鹿高だし、芝生の手入れなど住むためのコストは高い。そうやって住宅の価値を維持しているのである。金持ちは金持ちで結構大変なのである。さいわい今回は機会があって、昔住んでいたころにはとてもじゃないが恐れ多くて近寄ることすら出来なかった名門ゴルフ場にも行ってきた。青木功とニクラウスが1980年の全米プロでプレーオフをやった有名なゴルフ場で、たまたま倅のアメリカ人の友人がメンバーとのことでプレーを予定していたのだが、折からの悪天候で無念の挫折、折角だから夕飯をご馳走になってきた。 
 流石全米オープンの第1回目をホストした名門コースとかで壁一面に青木選手は勿論あのボビー ジョーンズがお母さんから気合を入れられている写真があったし、本当のクラブライフとはこのことかと、日本のゴルフ場のあり方と較べて奥の深さも感じてきた。 
 もちろんこんな名門のメンバーになるのは大変である。単にカネがあるだけでなれるものではないし、差別には神経質な国なので表には出ていないものの多分人種差別もあるだろう。人格や家柄、教養などよほど条件が備わっていなければなかなかなれるものでではないことは見ればわかる。もちろんメンバーになれば全て維持費はメンバーの負担だから、結構大変だろうことは想像に難くない。むかしNYの名門ゴルフ場があのニクソンを断ったと威張っていたが、オーガスタのようにわざとバーを高くしむしろ格差を広げているゴルフ場も多い。 
 いましきりに日本では格差問題が論じられているが、アメリカのそれに較べればなにを意味しているのかがよくわからん。いったいなにをもって格差というのか、もっとはっきりと定義したほうがいいのではないだろうか。稼ぎなのか、教養なのか、それとも資産なのか、何をもって格差というのかについてきっちり定義しておかないと、単に経済的に金持ちが怪しからん、格差をなくしてみんなで等しく貧乏になろうということが目的の格差是正では、間違いなく世界に類を見ないおかしな国になっていく。 
 やる気がある人にとってはたまったものではないだろう。リスクをとって頑張って功なり名を遂げて、何が何でもあそこのゴルフ場のメンバーになってやるといった夢のもてる国のほうが、頑張り甲斐もあるし目標も希望も出てくる。 
 もちろん厳しい世の中、誰もが夢を叶えられるわけではないが、だからといって夢を叶えても、待っているのは格差是正の掛け声のもと根こそぎ税金で剥ぎ取られるのでは夢も希望もあったものではない。子育て支援も結構だがこの子達が大きくなった時に、なんていい国に生まれたものだと思える国にするためにも頑張ったら報われると子供のうちから夢と希望が持てるようにするべきだろう。 
 小さな正論を深くも考えずに叫んでいると、かえって地獄に落ちるのではないだろうか。「地獄への道は小さな正論という小石で敷き詰められている」ことも忘れないように心すべきだろう。頑張った人は税金も沢山払ってくれるのだから、多少いい思いをするぐらいは我慢してもいいではないか。リスクをとっても取らなくても結果は同じではやる気になれるはずも無い 
 いまの日本は気持ちの余裕も失っているようで心配である。そういえばバブル期にはNYのどこに行っても日本語が聞こえていたものだが、今回は代わって中国語や韓国語がやたら聞こえてきた。時代は変わったのだろうか。