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三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2009年08月21日
三原 淳雄

日本語力
 

 日本語力なんて言葉があるかどうか知らないが、あるとしたら今の日本人の日本語力は確実に劣化しているのは確かだろう。その好例が「責任力」をはじめ各党のマニフェストである。 
 いまや日本語を外国語として学んだ外国の人のほうが、はるかにきれいで正確な日本語を使っている。外国で日本語を学び初めて日本に来た外国人は、いまの若者とは会話が出来ないのではと心配したくなるほど、巷に溢れる日本語は品もないし意味不明な使われ方が目立つ。 
 そんな日本にまた選挙がやってきた。マニフエスト流行りとかで各党それぞれいっせいに出してきたが、こんな風潮に阿ねたのだろう。何を言いたいのか、国益のために何をしたいのか、この国をどんな国にするのか、といった肝心な軸足がさっぱり見えてこない。 
 それは日本語の遣い方がおかしいからである。だから何とも珍妙なスローガンばかりとなる。 
 民主党は以前から「国民の生活が一番」と言っているが、そんな当たり前のことが何故スローガンになるのかさっぱり判らん.政治のやるべきことのごく当たり前のことではないのか。わざわざそんなことを言うからには、国民の生活のことなど、これまで政治家は誰も考えていなかったのだろうか。 
また自民党の「責任力」もよくわからん。これまで政権党としての責任はなかったのか、きっとこれまでは党のことしか考えてなかったのだろう。国民のために政策を立案し法制化し施行する、それは全て国益や国民のために責任を持って行うのが政治の基本なのに、いまになって責任力なんていわれても、国民はどう返事をしていいかのか戸惑ってしまう。 
 世界が激変しつつあるなかで政府はどんな責任感で仕事をするつもりなのか、まずそれを責任をもって国民に示すのが政治の責任のはずである。自民党が政権を失ったら責任は持てませんよと、脅しているのだろうか。 
本のタイトルなら責任力でもいいだろうし、本の帯の文句ならそれでも通用するかもしれないが、力を入れる場所を間違えているのではないだろうか。 
いまや中国やロシア、北朝鮮などの動きは看過出来ない問題が山積しているのに、日本の「軍事力」や「安全保障」をどうするのか、中国が力をつけてきつつある今、あらためて日米安全保障はどうするのか、「平和」「平和」とこれまでは唱えているだけで幸い何とかなってきたが、もし選挙中にでもどこからかミサイルが飛んできたら、われわれはどうなるのか、国民の生命にかかわる問題への責任がさっぱり見えてこない。 
 やはり日本語の理解が足りないとしか思えない。昔の武士なら責任の取り方は自らの命と引き換えだったはず。このごろ「命がけ」という日本語も聞かれないが、しっかりした担保も無しに、責任という大切な言葉をキャッチコピーみたいに軽く扱ってくれても困るのは国民である。 
民主党もおかしい。国民をゴミ扱いしているのならともかく、誰だって政治家なら有権者の生活が一番というだろう。 
 肝心な外交をそっちのけにして、安全保障は国連に丸投げし、これまで散々地元の有権者のためだけにやってきた政治家がトップではなかったのか。まず国民とはいったい誰のことかをしっかり定義付けてから遣うべき言葉だろう。 
 その民主党だが「自立した外交で世界に貢献」をする一方でアメリカとは「緊密で対等な関係」をつくるそうだが矛盾を絵に描いたみたいな表現である。こんなあいまいな日本語の遣いかたはない。 
日米安保を堅持したまま自立し、対等な関係をアメリカと持てるのか。ホワイトハウスの翻訳官はオバマ大統領にどう伝えるか、きっと大変な苦労をしていることだろう。 
 といった具合にこの大事な選挙がらみだけでも、いかに日本語がいい加減な用いられ方になっているかがよく窺い知れる。 
 本来政治家の公約の基本は国益が一番でなくてはならず、国民の生活も国のあり方で大きく変わるもの。そのためには目先的には国民にとって厭なことでも、きっちり説得して納得させ国力の増強を図るのが本来の政治のあるべき姿のはずなのに、今回も空疎で矛盾だらけのご機嫌伺いみたいな公約が多い。 
 本来そこをきっちり突くべきマスコミもひどい。とくにテレビはいったい何を考えているのかさっぱりわからん。政治家をお笑い芸人と同じに扱ってオチョクルし、またそのときの言葉も酷い。この日本の行方を決める大事な選挙が始まっているのに、まだ酒井某女のクスリの話をトップに持ってきてながながと流すなど、物事の順番を取り違えているとしか思えないが、国の行方より視聴率やタレントのくすりのほうが大切なのだろう。そんな俗悪番組のスポンサー企業は何処に目をつけているのだろう。 
 もともと日本語を怪しくしたのもテレビの責任が大きいし、司会者にどんなにオチョクラれても、テレビに出て票になればいいという堕落した政治家を乱造した責任もあるだろう。残念ながらそうはいっても日本の将来は政治が決めていく。正しい日本語が遣える政治家を今回の選挙では選びたいものだ。気になるのはマニフエストをそもそも誰が作ったのだろうか。まさかテレビとグルになってつまらん番組ばかりを作らせているあの有名代理店に丸投げしたのではないだろう。そんなことをしているとしたら、国民から責任力が問われ負けたとしても仕方がないだろう。それが自己責任である。