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キャピタル・パートナーズ証券
三原淳雄はキャピタルパートナーズ証券の顧問を務めています。
 

2009年08月13日
三原 淳雄

「ボクたちの満州」
 

 8月は日本にとってイベントが多い。戦争に負けたのも8月だし、ニクソンショックとして知られる円の変動相場の始まりも何故か8月15日。 
 日本にとって鬼門の月なのだろうか。今年は総選挙も行われる。鬼門の月ではなく将来への大きな転換の月に変わって欲しいものだ。 
 これまでの日本はおおむね殆んど同じ価値観でやってきた。貧しい時代は先進国に追いつき追い越せ、そのためには一生懸命働けばいい。そのうち必ず生活もよくなると信じて頑張り、事実奇跡とも思える高度成長もやってのけた。 
 世界が日本を驚異の目で見たのも当然である。こんな短時間でこれほど発展した国は世界史にも例を見ないはずである。 
 だが一方で成功の甘い香りが忘れられず、世界や日本の変化に対して戸惑っているばかりで、まだ以前と変わらぬ価値観から抜け出しかねているように見える。そのためなかなか異なる価値観を受け入れないし、違う意見は排除してまるで無かったのかのように無視して葬ってしまう。 
 一億人も人がいればそれぞれ一億の価値観があってもいいのだが、村社会のDNAがまだ残っているのかも知れない。 
 そんな日本のなかでそれでも立派に自分の価値観で頑張って成功している人はもちろん沢山いらっしゃる。いま日経に私の履歴書を書かれている芦田淳さんもそうだし、先日NHKの『わが心の旅』に出演されていた漫画家のちばてつやさんもそうだ。 
 敗戦時の混乱の中で、ちばさん一家を匿ってくれた中国人の恩人を探すという番組だが、ちばさんと同じ町(奉天(ほうてん))で同じときに住んでいたことを知り感動だった。 
 またそれ以上に感動したのは、ちばさんの人生観である。 
 いい学校に行っていい会社に入り、可愛いい嫁さんを貰って一生懸命働く。すてきなマイホームを手にいれ子供は塾にやっていい学校に進ませる。そんな日本の一般的な価値観のなかで、世の風潮とはまったく関係なく、自分の人生を自分で決めるのはなかなか大変だっただろう。 
 大学で何を学ぶかではなく、何処に入るかが大事だった時代に、生活苦で大学にも行けず、また折角名門大学に入ったのに、中途退学してわざわざ漫画家になるなど、親も親戚もガックリしたであろう人たちが一時代を築いたのである。 
 その漫画家に満州から引き揚げた方々が多いことをご存知だろうか? 
40歳で脱サラした当時「辞めた奴とは付き合うな」と、あたかも封建時代の脱藩者扱いされた経験があるが、そんな時代に大学を中退したり脱サラして漫画家になった人たちは、きっと面白い価値観をお持ちだろうとは思っていたが、ちばてつやさんのテレビを見、改めて漫画家たちの書いた「ボクの満州」という本を読んで、なるほどあれだけ過酷な経験を子供時代にすれば、その後の人生はおまけみたいなもの。せっかく生き延びたのだから思いっきりやりたいことをやろうとなるのは、わが身もそうだからよく理解できる。 
 それにしてもそうそうたる方々が引き揚げ者なのには驚いた。「ボクの満州」の著者には赤塚不二夫さん、北見けんいちさん、上田トシコさんなど凄い顔ぶれである。もちろん漫画以外にも宝田明さん、浅岡ルリ子さん、なかにし礼さん、坂東英二さん、小沢征爾さんなど自力で名を成しているが、なかにはその後も大変な目に遭われているのに、逞しく再び這い上がった方もある。 
 きっとあのころの悲惨な状況に較べれば、どうってことないと腹が据わっているのだろう。芦田淳さんの私の履歴書もいまのような時代だからこそ、ぜひ読むことをお勧めしたい。 
 今の日本には何だか不満が渦巻いているようだが、何に対してどう不満なのか、不満の対象を何処に求めているのか、昔の8月がどうだったかを改めて振り返り、不満の整理をしてみてもいいのではないだろうか。