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プロフィール
三原淳雄
 

2009年04月17日
三原 淳雄

本屋の効用
 

 習慣的に本屋を見かけると入ってしまうのは本屋の店頭は見ているだけで「話のタネ」がいっぱい転がっているからである。 
 株価が上昇している時には所狭しと怪気な投資本や雑誌で溢れていて、そろそろ天井が近いことを予感出来るし、逆に株が下がるとこの種の本や雑誌はパッタリと姿を消し、代わってノウハウ本や心の安らぎみたいな本が溢れるが会社四季報などは空しく積み上がっている。つまり誰も株など興味を持っていないのだろうが、そんな時に本物の資産家は四季報を買いこっそり仕入れを始める。廃刊や休刊も時代の変化が表れる。 
 「諸君」や「現代」が休刊となり、近々「マネージャパン」も休刊となるらしい。 
 マネージャパンはいい意味でも悪い意味でも日本の投資家の動きを知るためにはいいマネー誌なのだが、たった700円の本代を惜しむ投資家ばかりだからだろう。毎月買ったって年間一万四千円だから、それぐらいの元手は払うのが本来の投資家のはずなのだが、元手もかけずに儲けられた時の夢からまだ醒めてないのかも知れない。また広告も減っているのは確かだろうが、こんな時こそ証券業界もどうして頑張って支えて上げないのかと、こちらにも不満は残る。 
 投資家が迷っている時に、肝心な証券界や金融界までが一斉に経費削減に励むのでは折角のチャンスなのにこれでは、迷える投資家は動きたくとも動けまい。 
 当方も似たような状態で、いちばん訴えたいこんな時に、訴える場所がどんどん少なくなって、バフェットやピーター・リンチの知恵を世間に伝える機会がない。 
 根が臍曲がりだから株が活況を呈して怪しげな投資家が溢れ、誰でも参加するだけで儲けているような時は余り出しゃばりたくないのだが、そんな時には声が断りきれないほどかかる。 
 世の中うまくはいかないものだ。 
朝日ジャーナル緊急増刊号 
 その本屋の店頭で全く意外な雑誌を見付け目を疑った。何とあの「朝日ジャーナル」復活号が売られているではないか。創刊50周年とかで週刊朝日の現役たちが思いついた緊急増刊らしいが、いやこんなことがあるから本屋めぐりは何とも楽しい。 
 1959年は50年前だが天皇のご成婚があった年でもあり、テレビがそのために一気に普及を始めた年でもある。 
 個人的にも就職した年であり、14インチのテレビが15万円(月給の約10倍)もしていたので、ご成婚のパレードやニュースは喫茶店や電機屋の店頭で見た記憶がある。 
 この朝日ジャーナル、当然のことながら当時の左よりのいわゆる知識人を総動員し、反米嫌日容共的な傾向が強く、資本主義で生きている証券会社の社員としては困った存在の雑誌ではあったのだが、後の編集長となった筑紫哲也氏がいみじくも「知的虚栄心」を満たす雑誌と喝破したように、読んでないと議論に加わることが出来ず、しっかり読んでは甲論乙駁に精を出したものである。 
 全学連華やかなりしころは「右手にゲバ棒、左手にジャーナル」、その後も時代は変わって「右手にジャーナル、左手にマガジン」と言われたように、確かに一時代を画した存在ではあった。 
 時代は変わって日本が豊かになり、一人当たりGDP世界一、一億総中流となった92年に休刊となったのだが、いま振り返ってみるとどうもそのころから日本人は余り議論もしなくなり、そのため考えることもしなくなっていわゆるいい子ちゃんばかりになって来たような気がしないでもない。 
 ジャーナル隆盛期には知的に尖った奴がやたら多くて閉口したものだが、おかげで鍛えられもした。「怒りの復活」と題した今回の増刊号も「いま問われているのは私たちの知性」とサブタイトルをつけているが、それは将にその通りだろう。インフォーメーションだけはネットやケータイで簡単に大量に手に入るが、それをどう読み解きどう人生に活かすかというインテリジェンスが欠けているのが現代だろうし、そのために感性が鈍っているきらいもある。流石ジャーナル、いいところを突いたものだ。「アエラ」がいつの間にか強いおネーちゃんたちの機関誌と化してしまった折だけに、草食系と呼ばれ猛女たちに押し捲られているおニーちゃんたちのためにも、この際ジャーナルを読ませ考えさせる工夫をして欲しいものである。たまには本屋を覗くことをぜひ心掛けてみては如何。 
「逆バリ」の意味も学べとると思うよ。 
PS それにつけても「週刊新潮」はひどいもんだ。 
言い訳を10ページも載せたくせに定価はそのまま(買ったけど)、お詫びに割引きするべきだろう。ジャーナリズム全体をおとしめたのではないか。