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プロフィール
三原淳雄
 

2008年06月27日
三原 淳雄

衣食足りて礼節忘る
 

 このごろとみに日本語がおかしい。 
 死語になった言葉の何と多いことか。 
 「謙譲の美徳」「惻隠の情」「一掬の涙」といった味わい深い言葉は無論のこと、本来大切にされてきた規範となる言葉も忘れられたようだ。「瓜田に履を入れず」「李下に冠を正さず」などは、いま日本中の役所に張っておくべき言葉だろう。 
 なかでも思い上がってるとしか思えないのが、この無資源国で自給率が4割を切っているなかで、グルメ番組の氾濫である。 
 午後から夕方の民放のテレビの多くが愚にもつかぬ食べ歩き番組ばかり、しかも舌もろくに肥えていそうもない「あの人はいま」的なタレントがゾロゾロ出て来てオイシイ、オイシイとヨイショしている姿を見ると、作法も何もありゃしない。分別とか分相応も死語になっている姿がよく見てとれる。 
 ものごとには全て作法があるのが日本の古き良き伝統だったはず。「いただきます」にはじまり「ご馳走さま」が食の作法の基本なのだが、作法も教えずに何がグルメか。 
 その点欧米にはキチンとしたテーブルマナーがあり、食べ方ひとつで出自が判る仕組みになっている。「マイフェレディ」が好例だろう。 
 ぼやく種子にはことかかないが、せめてもう一度作法について職場や家庭で教えたり習ったりしてみたらどうだろう。 
 このグローバルな時代に如何に頭脳明晰でも、食事の作法すら知らない子をグローバル化した世界に出すのは日本としても恥だろう。 
 挙措振舞いがキチンとしていれば、それだけで好感を持たれるだろうし、本人にとってもその方が多少の諸学力よりは役に立つはずである。立派ことを言ったってベーシックな作法が欠けていれば友達になれるはずもない。「親しき仲にも礼儀あり」と言うではないか。親しいこととタメ口を叩くのとは全く別なのだが、最近はこの境すら覚束ない勘違い者が多い。 
 先日NHKのハイビジョン番組で宗教学者の山折哲雄さんが「死の作法」について語っていらしたが、生あるものは必ず滅するのだから、このままでは日本は個人も国も「有終の美」も飾れぬままで終わるのではないかと心が寒くなった。 
 いま箪笥のなかは着るもので一杯、冷蔵庫も食物で溢れているのだから、せめて礼節の第一歩の「衣食足りて礼節を知る」ぐらいのことを始めようではないか。何処に行ってもメタボ腹の不作法な連中しか目につかない国になることだけは何としても阻止したい。NOVAなどに引っかかる前に日本語をもう少し学び直してみたらよかったのに。