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プロフィール
三原淳雄
 

2008年05月19日
三原 淳雄

生命からがらと生命がけ
 

 古希も過ぎてやっと10歳まで過ごした満州を訪ねたくなってきた。当時のソ連国境に近いチチハルという所で生まれ、その後大連の近くの金州(乃木将軍の有名な詩碑があった)で育ち、最後は奉天(いまの瀋陽)、敗戦までは支配層で恵まれた生活を送り、8月15日に敗けた瞬間から今度は一転して被支配者に転落という劇的な経験もした。 
 完全武装で自動小銃を腰だめにしたソ連兵が、金目のモノや女を求めて集団で襲ってくるのだから、その恐怖たるや物凄いものがあり、そんなこともあって生まれ故郷に対して妙にアンビバレントな心境に陥った。 
 楽しいことはすぐに忘れるが、苦しかったことや恐ろしかったことはなかなか記憶から出ていかない。苦しいことのなかには後になってみるとむしろ楽しかった思い出となるものもあるが、あの当時のソ連兵や一部の満州人に対しての憎しみはそうそう変わるものではない。あんな国は地球から消えて欲しいとすら思っていたほどである。 
 あんな環境や経験をすると、ずっと日本で育ってきた人たちとはやや異なる性格になるようだ。人がどう思うかなど、くよくよするようなことはまず考えないし、どうせ拾った人生だから思う存分楽しみたい。くよくよしても仕方がないという俗に言う「大陸育ち」的な考え方が身につく。そのせいか世間一般が大変だと大騒ぎしている時でも「生命さえあればいいじゃない」と、騒ぎが大きくなる程にむしろ白けてくる。 
 このことはどうも引揚げてきた人たちに共通なようで、有名な漫画家のなかに満州帰りが多いことを知ってからますますその思いが強い。上田トシコ、赤塚不二夫、古谷三敏、横山孝雄、ちばてつや、森田兼次、北見けんいち、石子順、高井研一郎、山内ジョージといった巨匠は全員中国からの引揚げ者である。 
 あの当時の日本人の生命なんて虫ケラみたいなもの。そのなかで運良く生かされた命は大切なものと、あの状況を体験した者のみが持つ共通の考え方だろうと思う。 
 だから平気で有名大学を中退して漫画を描いたり、脱サラなど思いもよらない時に漫画家になったりと、当時の日本では親不孝と呼ばれそうなことが出来たのも、どこか肝が据わっていたのであろう。 
 日本にとって不幸なことは、本来ならこういう人たちこそ政治家になって欲しかったし、こうした腹の据わり方をした人が政治をするのが国のためであろう。 
 国会議員とは言いながら、やってることは出身地への道路予算の獲得といった、まるで町会議員の仕事しかしていない政治家たちは、この人たちの書いた「ボクの満州」という本(亜紀書房)をぜひ読むといい。(絶版かも知れないが乞ご容赦) 
 いかに自分たちが小物で政治家として恥ずかしいことしかしていないことに思いが及ぶはずである。ここにきて再び国際情勢も国際経済も緊迫の度を増してきた。 
 このままでは日本そのものの生存権すら危ないのではないか。生命がけとはどういうことか、ぜひ原点から考え直す時だろう。 
 国家存亡の危機なのである。世間体や自分の当落などに構っている場合ではないだろう。