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プロフィール
三原淳雄
 

2007年11月30日
三原 淳雄

八つ当たり
 

 ファイナンス(金融)という言葉自体が日本ではマネーゲームとされているため、金融市場も株式市場も世界の大きな変化に取り残されているのではないか。なかでも株式投資は紙切れを売買しているとまだ思っているようだ。 
 これはインターナショナル トリビューン紙に出ていた記事である。 
 証券税制ひとつとってみても、やれ金持ち優遇だから預金利子なみの20%にしろというような風潮になる日本を見れば、外国人には市場経済の基本である市場を、まだマネーゲームの場、金持ちが勝手にリスクをとってマネーゲームを楽しんでいる場所としか日本人は考えていないと映るのも仕方があるまい。頭は本来考えるために身体のてっぺんにあるはずなのだが、こんな基本的なことすら考えなくなった頭はヘアースタイルのための土台が関の山。 
 考えなければ頭も軽くなるので、だから最近の子供は上に伸びて身長だけは高い。 
 大人も永田町あたりにいるとおかしくなるらしい。政治は本来国の進路を決めるための政策を立法するのが使命だし、同時に国民の生命と財産の安全を図る義務を負う。ところがいまは思考が停止してしまったのか、政策そっちのけで広い国会議事堂でやっているのはあの油はどこにいったかとか、宴会のリストを出せとか、国の大事とは思えない枝葉のことばかり。 
 国会が指示しなければ役人も暇になる。マンション偽装事件に懲りて今度はマンションを建てなくして、建設業界を困らせたり、さらにはどうでもいいような食品の偽装などを摘発しては、いかにも国民の生命の安全を守ってますといったポーズとアリバイ作りに精を出し、国民を困らせてくれる。 
 賞味期限ばかりに拘っていると、肝心な人間のリスク感覚が薄れ、自らの舌で食品を判別出来る能力を国民から奪ってしまうのではないか。赤福の味がおかしければ、自分で味わってみて吐き出せばすむし、然る後にそんなものを売った店に自分でクレームをつければいい、何も国を挙げて大騒ぎすることか。そのために味覚という感覚があるのではなかったのだろうか。 
 人間生きてりゃリスクはどこにでもあるし、そのリスクを察知するのが生来身に持っている五感の役目のはず。飢餓の時代を子供のころ経験している身としては、何もラベルの期限などなくとも、口に入れてみるだけでいまでもすぐ判る。 
 それよりいまもっと大事なことは、いまや国家の一大転機に日本がさしかかっていることである、それを何故もっと大騒ぎしないのか不思議である。 
 新興国の台頭それ自体は大変結構なことだが、その陰で日本が静かに没落しつつあることの方が、赤福や北の恋人、吉兆などより大事ではないのかと思うのだが、思考停止中の日本ではそんなことよりミシュランの格付けの方がもっと大事らしい。 
 フランス人に日本のレストランを格付けされて、そんなに嬉しいのか。ミシュラン本は早速売り切れたそうだが、そんなバカな本を買うカネがあったら、もっと頭を重くしてくれる本でも買ったらどうだ。 
 ほんの50年前までは食うや食わずだったくせに、本物のグルメなどが急に出てくるはずもあるまい。ワインや本場の料理が判るようになるには三代前のご先祖様ぐらいから鍛われてなければ、本当の通になんかなれるはずもあるまい。昔ならお殿様か貴族の世界である。ほんのこの前までワラジやハダシで歩いていたことを忘れないで欲しい。カネで買うのは本当に教養を高めるものにして欲しいものだ。もっともそれも素質があればの話だがまあ無理だろうな。何せ平和ボケしテロ対策ひとつ打ち出せないほどの思考停止ぶりだから、そんな政治家を選んだ国民のボケぶりも相当なものだ。