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プロフィール
三原淳雄
 

2007年10月25日
三原 淳雄

偽善の国 日本
 

 このごろあまり耳にしない言葉に「偽善」がある。この偽善を念頭にいれていまの日本を眺めてみると、上から下まで偽善に満ちていることが判る。いまや当たり前、だから誰も使わなくなって死語になってのだろう。 
 その筆頭が「言葉狩り」だろう。国会でも思わず本音を漏らしてその座を追われた大臣など好例である。本音を隠して喋るのは偽善そのものではないか。国会は言葉狩りの場と化した。 そのため民間でもおかしな言葉遣いが増える。 
 障害者をいたわるのは人間として当り前のこと。その本来誰もが持っている優しい行為をむしろないがしろにするから、不思議な言葉が増え、そのため逆に実体は悪くなっているのではないか。 
 だから障害者が目前に立っていても、席を譲るどころか、たちまち居眠りする不埒な若者が増える。それも電車などにわざわざ優しさをPRするようなシルバーシートを作ったりするからではないのか。どの席に座っても昔なら年長者が目の前に来れば、若者はバネ仕掛けのように立ち上がって席を空けたではないか。「・・・・・・の不自由な人」なんて、なまじ言葉ばかりに気を遣うから、かえって肝心な躾けが出来なくなる。かつてメディアでは「北朝鮮」をなんだか長ったらしい名前に呼び変えていたりして、こちらがそこまで気を遣っている間も、あちらは日本人を拉っていったではないのか。 
 この際もう妙な偽善は止めて、悪い奴の人権なんか尊重せず、懲らしめる時にきているのだが、偽善がすっかり身に付いたこの国では、暴力はいけません、戦争はいけません人権は大切です、きれいごとを口先ばかり。偽善は無責任と同じで小使いさんを用務員、女中さんをお手伝いさんと呼び名を変えても実体は同じではないか同様にニート、フリーターも怠け者を怠けさせるばかりある。 
 自衛隊なんて不思議な軍隊が何よりの好例だろう。自衛のためには時として先制攻撃が必要である。子供のころ散々喧嘩をしてきたが、自分より強い相手に向かうには、先制するしか勝ち目はない。それでも負けることもあるのが世の常であり、こんな喧嘩の仕方を子供のころから叩き込まれている国々が近くに沢山出て来ているではないか。 
 暴力や戦争がいけないと叫ぶなら、同時に覚悟も必要であろう。それで殺されたり半身不随になっても、それは自己責任だと潔く受け止めるならそれがスジであろう。 
 こんな偽善がまかり通る国だから、市場でもリスクをこんこんと説明しなければ、投資信託や株すら売れなくなってしまった。甘やかすとロクなことはない。 
 一方でオレオレ詐欺など遣りたい放題の連中がまだのさばっているのだから、変な話と言えば変な話だろう。円天などにひっかかった連中を甘やかさないことも大事だろう。 
 偽善がまかり通った結果、世の中には悪人はいない、市場にはリスクがない、うまい話はそこら中にあるといった錯覚に国民が陥ってしまったとしか思えない。 
 人情豊かだった昔の日本にも「人を見たら泥棒と思え」と、いまの日本のメディアが聞いたら卒倒しそうな言い伝えがあったではないか。 
 しかしそのころの日本の方がいまより心穏やかで人情も溢れていた世の中だったはずである。 
 この際スキャンダルで揺れている防衛省などさっさと国防省に改名し、自衛隊員が町を誇りを持って制服で歩ける国にしてみてはどうだ。制服を着ていればきっと席は譲るだろうし、軍人の誇りや世の中のルールも身をもって示してくれるのではないか。キレイごとで悪い奴や暴力は世の中から無くなることなどないし、言葉狩りなどで自国の利益のためには他国民のことなど何とも考えていない国だって現に存在しているのである。 
 もうそろそろ「偽善」から目覚めて、本音で生きていける国に変えなければ、日本の国力はどんどん落ちていくことぐらい自覚する時ではないのか。(なんて言ったって所詮負け犬の遠吠えだろう。)せいぜい孫には他国に行っても生きていけるだけの逞しさを身につけさせるべく、意地悪爺さんに徹しよう。