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プロフィール
三原淳雄
 

2006年03月07日
三原 淳雄

少しは感謝してみては(西脇プロに学ぶ)
 

 明治のころに日本を訪れた外国人の殆んどが「日本人は貧しくても親切で、むしろ高貴な品がある」との印象を強く受けた様子が見聞録に多く載っている。なかには残念ながら名前は失念したが、著名な歴史学者が「世界で滅亡させてはならない民族がある。それは日本民族であり貧しいが高貴である」とすら書いているほどである。 
 折角世界の人々が日本に対して好印象をもってくれているのに、いまは自らその大切なイメージを壊しているように思えてならない。物質的な貧しさは確かに克服し、世界に冠たる金持ち国家になったのだが、いつの間にやら高貴さを失ってしまい、いまや死語となった感がある。「ノーブルマン」とは貴族のこと、称号はなくとも昔の日本人はノーブルな人しか持ってない何かを持っていたのだろうが、いまやノーブルとマネーを引き換えてしまい、国家の品格すら危なくなったという本が売れる始末。なかでも中高年がひどい、高度成長期を担った団塊の世代の連中は、学生時代にロクな勉強もせず、聞き齧りの左翼思想にかぶれヘルメットなどをかぶっていっぱし革命家気取りだったのだろうが、あの連中の礼を失した行動、先生方への礼を失した言葉使いなどが、その後の日本から礼や品性を奪ってしまい、テレビなどでもその年代は、いまだに行儀が悪いし、言葉使いも滅茶苦茶である。 
 大体ヘルメットを簡単に投げ捨て、長髪をさっぱりと散髪し、ぬけぬけと、これまで敵視していた大企業に就職した連中だから、高貴さはもちろん人間として最低のエチケットすら弁えていないのは仕方ないのかも知れない。もともと教えられてもいないし、知らないのだから。おまけに横ばかり見て自分で考えることすらしない。 
 定年間近になってソバ打ちが趣味なんて急に繕ったって、地が地だから大声でケータイをかけたり、列に割り込んだりいまだに目につく。ニートやフリーターを生み出したのも、こんな親が育てればそうなるだろう。社会のせいにするのは大間違いである。まずはこんな日本に誰がした、と自省、反省し自らを改めることを考えるべきだろう。 
 戦争の悲惨さを体験し、子供ながらにその人生が大きく変わった経験のある我が身としては、いまの日本ほど恵まれた国はないと、いつも感謝こそすれ不平不満など言う気は全くない。不平不満を探し出す暇があれば、歴史や地理の本でも読んで、何とありがたい時代に生きているのだろうと、まず感謝しそして自分が何を出来るだろうと考えてみることだ。 
 男一匹、根性が定まればコメのメシとお天様はついてくるもの。日に何回かは「ありがとう」と声に出してみることだ。ありがとうの気持ちで女子ゴルフの開幕戦を制した西脇プロの「私でいいのかしら」という謙虚な言葉をぜひ肝に銘じて欲しいものである。