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プロフィール
三原淳雄
 

2005年09月08日
三原 淳雄

日露戦争に思いを馳せてみると
 

 父親がいまは無き満鉄の社員だったため、生まれ育ちは満州で、10歳になって初めて日本の地を踏んだ。 
 子供のころは父親の転勤で満州をあちこちしたが、日露戦争の戦跡である旅順や203高地、水師営、そして金州の南山などこの目で見てきた。 
 金州城外にある乃木将軍の碑の前で写った写真もあるし、金州の駅長社宅がロシア人の作った御殿みたいな邸宅だったため、王様みたいな生活をした覚えもある。 
 旅順の要塞では子供心に鬼気迫るものを感じたし、水師営では乃木将軍を想像し、日本人とは大変なことが出来る国民なんだと強く感じたものである。しかし昭和の時代になると、敗戦のショックで何だかおかしくなってしまった。上から下まで自分さえよければいいという風潮が強いし、そのくせ何かことが起きると誰かが何とかしてくれるだろうという依頼心も強い。 
 明治のころの日本人とは大きく変わったのではないかと、何かにつけ感じていたのだが、ある会合に出て日本も棄てたものではなさそうだと、やや愁眉を開くことが出来た。それは「日露戦争勝利100周年を祝う青少年の集い」というパーティで、友人の宮崎正弘さんの伝手で発起人にも名を連ねたため、如何なることになるのだろうと、好奇心一杯で出掛けたのだが、いや驚かされた。 
 当方は青少年どころか老人なので、ちかごろの青少年に日露戦争のことなど知らないのではないか、ましてや最近では学校でも教えてないらしいし、果たして何人集まるのかと心配しながら出向いたところ、ホテルの入口には入場を待つ若者の長蛇の列があり、1600人もの若者が広い会場に溢れ返っていた。服装もきちっとした身だしなみの若者が殆どで、デレッとした若者はむしろ少数派。何だか全員がキリッとして見えたほどである。大きく国が変わろうとする時には何か兆しがるものだが、空虚な改革ごっこを中心にした選挙の空騒ぎとは別に、こうした若者がいるということはいまの日本は確かに分かれ目に立っているのではと強く感じさせられたし、この若者たちが頑張ってくれるだろうと心強くもなった。 
 明治維新も太平洋戦争も、変わると決めたらコロッと正反対になる日本の国情を勘案すると、バブル崩壊のトラウマからやっとぬけだし再び日本も自信を取り戻す日も近いと、日露戦争のころに思いを馳せながらふと考えた。そうなってくれるとうれしいのだが。