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三原淳雄
 
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2003年11月10日
三原 淳雄

 
「道」を究めるものが勝つ
         政治と相場も同じだろう
 

 タクシーで国会周辺を通りかかったら、運転手さんが選挙が終わったら帰ってこれない人も多いのでしょうねとつぶやいていた。

 人生に競争はつきもの、政治も市場も似たようなものだなあと、つい考え込んでしまった。相場が熱狂した後も同様で、主役を演じていた投資家のなかには市場に戻れなくなった人も多いし、証券マンのなかにも兜町から追い出された人もいた。

 初めは慎重で謙虚だった人が、いつの間にか傲慢になり自分が市場を動かしているような錯覚や、株の名人ではないかと自惚れると、市場は手酷くしっぺ返しをするからである。その意味で10月25日の500円を越える急落はいい警鐘だったのではないだろうか。小型株のなかにはバブル時を再現するような荒っぽい動きが目立ち、業界誌がそれをはやし自慢話が出始めた時こそ警戒すべきなのだが、今回は市場の方が早目にイエローカードを出した感がある。値動きの荒い株が増えている相場を見ていると、さながら「石が浮かんで木の葉が沈む」と思わせる現象も出ていただけに、ここでの下げはむしろ歓迎すべきと受け取るべきだろう。株価が急落した夜に、かつて大手証券の株式部長も経験した証券OBと話しをしたが、相場が荒れれば荒れるほど、面白いようにチャンスがくるのですよと悠然としていた。

 彼の話しでは、ある銘柄のあるべき株価はここだと自分でベンチマークを決めておくと、そのレベルより下げれば買いを考え、上がれば売り場を探せばいい、ディトレーダーの多くは単なる株価の上げ下げで右往左往してくれるので、自分流投資が楽しめたうえに、うまく稼げると、いま流行りのディトレーダーを手玉にとっているらしい。彼によれば相場には「ココロ」があるのだそうだ。

 彼の場合はもとプロの市場マンだけあって「相場のココロ」が読めているのであろう。

 大袈裟に言えば「相場道」と言ってもいい。花に「華道」、お茶に「茶道」があるのなら、相場に「相場道」、投資には「投資道」があってもいい。要はそれぞれの分野で「究める」という心掛けがあれば達人になれるということであり、中途半端がいちばんいけない。政治も然りで政治を究めるという心意気のない「政治屋」は、相場の上下で右往左往する投機家と同じで、局面が大きく変わるような時には帰ってこれなくなる。政治も市場も究極は究めた者が勝つと言えるのではないだろうか。